2010年9月アーカイブ

2010年9月27日

家康

「徳川家康」ようやく読み終わりました。長かった。途中まではスムーズだったのですが、関ヶ原が終わったあたりから、ペースが極端に鈍ってしまいました。今回の戦国MYブームは元々「真田太平記」から始まっているので、どうしても徳川家を斜から見る感覚が最後まで抜けなかった。「大阪の陣に対する言い訳?」みたいな気持ちがどこかにあってページがもう一つ進まない。間で色々つまみ食いしながらで、結局1年くらいかかってしまいました。でも、エライ人には変わりませんよね。今とは比べ物にならない野蛮な時代を100年ぶりに平定した人ですからね。読んでいて、よく思ったのですが、家康に限らず皆、暴力が絶対的だった時に信仰だとか、義とかってことがよく言ってましたよね。
また、昔読んだ本に「日本を代表する芸術のほとんどは戦国時代に生まれている」とありましたが、利休や池坊なんてまさにそうですからね。人間生死のラインと背中合わせで生きると感覚が研ぎ澄まされてこうなるんですかね。生まれた芸術の質や種類を考えながら、四季の富んだ日本という土壌と合わせ見ると大変興味深いところです。

2010年9月24日

秋来たる

秋の交通安全週間が始まりましたが、初日いきなりの夏日。オイオイ一体いつまで続くんだ、夏?と思いましたが、先日からようやく秋になった感じですね。
初日神宮絵画館前広場で警察の集会があったようですが、解散して最後に出てきたのがピーポファミリー全員による軽トラ箱乗り。あまりの衝撃に写真を撮るのを忘れてしまいました。待ってくれ~と追いかけましたが、撮れたのは後ろ姿だけでした。

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さてようやく訪れた秋空の中、とはいかずあいにくの雨でしたが、昨日、8年前に建てた家にお呼ばれしてきました。手前味噌ですが8年経って、とっても良い住宅になっておりました。目の前の葦の林を越えるように視線を設定したかったため、生活レベルを2mちょい底上げした住宅。アプローチの階段に緑がかぶり、大変味のある佇まいになっておりました。

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この飲み会は半年に一度くらいの割合で開催されているそうで、施主様が出版業界の方であることから随分様々な顔ぶれがいらっしゃっておりました。音楽評論家、オペラ歌手なんて方からイタリア料理のシェフやプロダンサー、IT企業家、ランジェリーデザイナーなどというところに加え老人介護士やネットカフェ難民予備者など何が何だかわからない集まりでしたね。小さな家なのですが、そこに20人くらい入っていたんじゃないかな。底上げ基礎部分に「いやー妹が出戻ってきて置き場所がなくてね」とグランドピアノ。「もうちょっと管理してあげて欲しいな」とかいいながらオペラ歌手の方が弾き語りをしてくれました。昔から思うのですが飲んでいる時に男性がピアノを弾くのは反則です。カッコ良すぎます。
まあでも、とにかく大変楽しい集まりでした。今回はあいにくの雨でしたが、林に突き出たテラスを活用するとより充実したパーティーができることでしょう。次回も楽しみにしています。

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2010年9月13日

飛鳥連創立40周年記念公演「結」

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飛鳥連創立40周年記念公演「結」が終わりました。
9月にいくつか外部出演が入っていても、やっぱり節目は高円寺。例年は8月で色々な意味で区切りがつくのですが、今年は通過点に過ぎませんでした。
師匠連の娯茶平をお呼びし、お世話になっている柳家紫文師匠一門にご協力をお願いした連始まって以来の大イベント。言いだしっぺの私が実行委員長を務めさせていただきましたが、こう言う企画がとても大変なものだとしみじみ思いました。一人の負担を軽減しようと担当を分けて進めたつもりでも、結局個人個人にかかる負担は大変なもの。実行委員はもちろんのこと、本当にみんなには大変な労力、時間の負担を強いましたね。日程が近づくにつれ問題点が浮き彫りになり、大丈夫か?と何度も思いました。最後の方は本当に連員ひとりの力一つ抜けたら実現できなかったのではないでしょうか?
当日、9時から始まったリハーサル。共演者の合せを優先しながら、10時には早朝出発の娯茶平を出迎え、リハと合せ。飛鳥の調整がほとんど出来ないまま、それでもほぼ満席になった客席見ながら少し前はヒヤヒヤしていたことを思い出し、とりあえずよく埋まったなと袖で胸を撫で下ろしておりました。

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写真は正直、忙しく撮ること忘れていました。娯茶平の皆さんと写真撮っておけば良かったな。まあ、また来年も徳島行くしね。ちなみに上は女踊りの子が記念に焼いてきたクッキー。娯茶平、飛鳥の全連員と舞台スタッフにも渡る数量です。こんな女性らしいことをする子が飛鳥にもいたんだ、なんていったら怒られますね。
下は前日の仕込み中。大道具さん雇うお金なかったので、花道やお囃子の雛段は自分たちで作りました。

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肝心の舞台ですが、出来は良かったと思います。周囲の方の反応を見ても良いのではないのかな。
自分の躍りは正直、他の事で手一杯であまり考える余裕はありませんでした。でも、まあ、がんばってやって、声を聞くとこれもまあ、良かったようです。
阿佐ヶ谷で行ったパーティーで色々な人が喜んでくれました。
大変でしたが、良い思い出になりました。
次は50周年かな?

2010年9月 6日

一つの終幕

 青山墓地から外苑西通りの上を通る陸橋を渡ると、右手の青山斜面にたくさんの住宅が見えます。私はいつも「どこだったかな?」とつぶやいてしまうのですが、そんな設計者は他にも何人かいるのではないでしょうか。
 20年近く前、その敷地を建設地とした一般住宅の設計コンペが西武グループ主催で行われました。一般住宅の設計コンペは、多分、これが日本で初めてだったと思います。成功報酬も少なく、公共事業などの設計コンペに比べてあまりに小さなスケールのそのコンペは、予想に反して物凄い反響を呼びました。有名事務所や経営的に問題ない事務所は参加しませんが、独立を夢見る世代の人間がこぞって参加したのです。私もその一人でした。
 現在数多くある一般住宅向き建築プロジュース会社のほとんどはこのコンペが起爆剤となって立ち上がった、と私は思っています。私自身も何社かのお世話になっていますが、中でも、関わりの深い一つにウィークエンドホームズ社があります。
 「設計コンペで家を建てよう!」をキャッチに並み居る競合を押えダントツの強さを見せていました。私が参加したのが8年前。コンペ案持込のため当時の浜松町の小さなオフィスを訪ねた時の印象は今でも忘れません。「伸びる会社」とはこういう会社なんだろうなぁ、とつくづく思いました。スタッフ一人ひとりが輝いていて、会社中にオーラが溢れています。その後、新宿に移り規模はすごい勢いで拡大していきました。確か5年前の週刊新潮で「10年後の大企業BEST100」の中、17位にランキングされていましたね。個人的にも繋がりは深く、システムに対して何度か苦言をぶつけ、それに対して真摯に対応していただいたことなどを記憶しています。
 おかしくなったのは新宿に本社ビルを建てたころからですかね。おそらく資金繰りが大変だったのでしょう。経営陣と現場の行き違いなどを耳にするようになり、優秀なスタッフがじょじょに抜け出しました。そして大株主の建売メーカーが経営参加してきてアウト。新しい理論に旧時代の人間が割り込んできて経営指導しても何も始まりません。何人かの役員の方に直接苦情を言いましたが無駄でした。設立当初の精神は消え、ウィークエンドはプロデュース会社ではなくなってしまったのです。
 昨日、ウィークエンドホームズ社が8月末日をもって債務整理を始めたことを聞きました。1年ほど前からこうなることはわかっていたのですが、それでもショックな知らせです。
元社員の何人かとは今でもお付き合いがあります。当時ウィークエンドホームズが行うコンペの中で特に「強い」設計者が数人おり(私はそのグループの末席でした)、元ウィ-クエンド社員とその仇敵同士で飲み会でもしようか、と話が出ているそうです。
全盛期を見ているだけにウィークエンドは本当に残念でなりませんが、そこで生まれた絆は残っていきます。
建築プロジュース会社の存在はそれまでタテ割社会だった建築界にヨコの繋がりを生んでいます。日本の建築界に与えた影響は大きいかも知れません。

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